2011年3月11日午後2時46分、東日本関東大震災がおきた。
その日から16日までハワイへ行くことになっていた。娘の結婚式
列席のためだ。21時25分発のJAL機に乗ってホノルルに着く予
定だった。関空の飛行機は運航していた。
自宅を出るまでテレビを見つめていた。津波の凄さ。地震の怖さ。
そして、日本で一番古い原発―福島第1原発の1号機の危険度。
そういう日本のシステムが崩れようとする姿をまともに見るのに堪え
られなかった。
機上の人に妻と私はなった。しかし、日付変更線の手前で機長の
アナウンスが響いた。「当機はミッドウェー代替施設で給油ができ
ないため、またホノルル空港に津波来襲する予定にありますので、
羽田空港に引き返すことを決断しました。悪しからずご了ください。
羽田で給油をしたのち、関空にもどり入国をしていただきます。」
乗客は唖然となっただろう。
その日は自宅に帰る。テレビは次々津波の被害を報道する。
当然だが、福島第1原発の動きはあまり報道量が少ない。
結婚式に列席しなければならない。チケットを求めたが、どの飛行
機も満席でなかなか取れない。デルタ航空にエコノミー席1席だけ
あった。19万円。すぐに予約。しかし、もう1席がいる。あった。
ビジネスクラス1席あった。40万円。えーっつ!!そんなお金は
出す資力が私にはない。結局、妻だけが出発した。
3月12日午後9時台のデルタ航空で発ったと妻からメール。
自宅にインターネット放送を見る。地上波テレビでは原発事故
の詳細は分からないから、スイッチオフ。
東京在住の長男とその彼女にメールと電話で連絡をとる。連絡つかず。
何度かメールして、やっと長男からメールあり。でも、彼女(みどりちゃん)
と連絡つかず。彼も心配している。
心配。先週に東京に行き、4人で散策をして、楽しい時間を過ごしたばかり。
12日は長男は職場である特養ホームに泊まった。電車が運休していた。
みどりちゃんは自宅から2駅目なので、夜遅く帰ったと。彼女は保育士だ
から、子どもの親が引き取りにくるまで待機しなくてはならない。
長男と彼女は結婚予定。今年中に結婚式をすることはできるか。震災の
後なので、状況が変わった。
福島原発の事故がしきりに気になる。関東地方の人々も放射能汚染の
最悪事態を考えておかなくてはならない。
フランス政府は同国人の避難のため、帰国のためにエールフランス機を
用意したと報道。また、滞在する同国人用にヨウ素剤を用意したとも。
日本政府は日本に住む人に「ヨウ素剤」を用意しているはずだ。ただそれ
をどのようにして配布することができるかを手立てを打っているか心配
する。
16日、近くの公園のモクレンのつぼみが膨らむ。中には白い花を咲かせ
ているのもある。春が来た。しかし、今年の春は気が重く、日本には生みの
苦しみがある。新エネルギーは原子力ではないことが判明した。
太陽力発電、風力発電、地熱発電などのニュー・エネルギーで立国を考え
なければならない。また、今までの政治は疲労している。新しい希望をもった
政治―社会が構築されなければならない。
魯迅が志向した新しい生活を私たちは持てるだろうか。
日本人が木偶のぼうで居つづけるか。それを抜け出ることができるか。
日本人個々人だけでなく、日本の民主主義の真価が問われている。
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