戸塚ヨットスクール事件を覚えている方は少なくなっただろう。
30年まえの事件だから仕方がないか。
1980年代、非行や登校拒否が社会問題になっていた。今も
そうだが。戸塚ヨットスクール(戸塚宏校長)が非行に走った
子どもや登校拒否生を引き受けて、激しい訓練や体罰で立ち直
らせた実践が注目された。わが子の教育に悩む保護者に一縷の
望みになっていた。
訓練生の死亡や行方不明事件をきっかけにマスコミから叩かれ、
世論の攻撃に反発する姿は「悪役」そのものであった。裁判闘
争に敗れ、彼は獄に下り、2006年に刑期を終えた。
世間によって彼は抹殺されたと思っていた。しかし、彼は校長と
して存在し、主張も変わっていなかった。体罰が人間を進歩させ
ると断言する。恥が子どもを進歩させる。独特の「教育」観を展開
する。論理が飛んだり、跳ねたりする。その論理を補強するの
が「現場」にいることだ。そして、日本の教育の破たんの責任を
日教組・文科省・親のしつけに押し付ける。
その顔は戸塚宏校長だとすぐにわかる。しかし、彼の表情には
以前と違うものが内在しているように感じる。マスコミ批判は
同じだが、こんな教育にしたものの責任を追及してほしいと、
教育から見放された者に代わって、現場で孤軍奮闘するドンキ
ホーテの呻きのようにうつる。
十三のマニアックな映画館(ほめ言葉である)第七藝術劇場で
今日から封切の「平成ジレンマ」で、私は、時代と戦い悩みつ
づける戸塚宏に再会した。
映画の戸塚宏は寡黙であり、監督は彼にあまり喋らせていない。
東海テレビ制作のドキュメンタリー映画。ナレーター(中村獅童)
は誰が教育をどこに持って行こうとするのかと静かに言う。
今まで私は戸塚を全否定してきた。かれの体罰肯定を始めとす
る教育を否定はできない。教育を刷新するには、ヒトとモノが
少ない。引きこもり、ニートの問題に立ち向かう戸塚の表情に
は、教育者の悩みが浮かんでいた。
世間から見放された青年や子どもに寄り添う姿に、教育者に近
くなったかと感じる。しかし、彼が参加したティーチインのDVDを
見ると、日教組が悪い(日教組の影響力は弱くなった)とか儒教
で教育しろとか言動は聴衆に失笑を買っていた。独断的発言。
マスコミ批判の強さ。責任の欠如。世間へのふてぶてしい態度
は消えているが、論理は飛躍しており、恣意的な論理の展開が
ある。
そういう点を含めて、彼は批判される存在だけれど、私には彼を
一笑にふすことをためらう。
映画は、彼の現在を客観的に映すだけである。また、映画では
戸塚の発言は少ない。戸塚をどう解釈するかは各自に委ねられ
ている。
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