2010年9月18日土曜日

指導主事はすべきことを果たさねばならない

ある職場で採用2年目の先生の研究授業があった。

他人に見せる研究授業だから、準備の時間もかかったであろう。また、指導主事からのアドバイスもあったであろう。無事に済んだ後、件の先生がぼやいた。

社会の指導主事のアドバイスがおかしくて、腹が立ったと。

日本国憲法9条の授業の講評。「戦争放棄」と「清掃放棄」と生徒が聞きまちがえるので、誤解のないように配慮しなければならないと、その指導主事は宣った。それはないだろう。そんな生徒がいたら、お目にかかりたい。落語の世界ではない。

授業前にその指導主事は「戦力と武力とは違います」とその先生に説明をした。授業後の講評で「戦力と武力とは同じです」と断言。エー、それはないよ。先生はビフォアーとアフターとが違うと詰問。その指導主事先生はシドロモドロで返答できなかったそうだ。

教科の専門家である指導主事。最近は教師の授業を見る立場で発言する人が目につく。待てよ。新採用者にこれが授業の手本だというものを見せてこそ、尊敬される指導主事ではないか。授業をしたくない教師が、教頭・指導主事試験を受けるのだと先輩に聞いたことがある。

事務局の小間使いではなく、教員に偉ぶるのでもなく、現場の苦しみや悩みを聴いて、的確なアドバイスをするのが本来の職務
ではないか。事務局のお茶汲みであってはならない。プロの中のプロらしく働いていただきたい。

2010年9月16日木曜日

管理職のマネジメントのなさを嘆く

夏休みも明けた。1学期の混乱も収まった。

しかし、それも誤りであった。5限に3年生による対教師暴力が起きた。
不必要なものを取り上げることで、たまたま指導の加勢に入った教師の腹部を蹴ったのだ。

学年会で論議してと管理職が言ったと学年主任の言葉。いつもは市教委の通達だと問答無用の態度を崩さないのに。
暴力事件とかになると、急に学年会の意向に従う姿勢になる。
まず、管理職の方針があって、それを論議せよならわかる。原案なしに論議せよとは、会議の進め方の基本を知らない人物と取られても仕方がない。

被害者の先生を午後6時まで放置しておく管理職の非情さ。また、心配する教職員に説明する集会を開こうとしない態度。急かされて初めて開く始末。校長は朝から校長会、中文連、近隣の小学校に出張。でも帰港するのが船長の責任だろう。教頭に電話で指示したのだろう。

服務ハンドブックの説明に30分もかける管理職。これはダメ。したら処分と脅す。市教委のマインドコントロールに囚われた校園長には、学校園のマネジメントはできない。

それ以前に学校園の部下を守る姿勢のなさを嘆く。