2011年4月4日月曜日

学校でのセクハラ

「学校セクハラ」という言葉と現実が一致したのは、今から14年前だった。

それは、私が13年間在籍した学校で起きたことだった。赴任の1年前に起きた。男性の体育教師が女生徒にセクハラを働いた。

その教師は、同僚の女教師にセクハラをした前歴があった。だから、女教師あるいは職場の人たちは危惧していた。

校長は毅然たる姿勢を示さなかった。また、その当時、「セクハラ」の及ぼす影響の重大さをあまり認識されていなかった。

どんな影響を与えるか。
被害者の心身に支障を及ぼし、学校という組織に重大な影響を与える問題である。
被害者の名誉や個人の尊厳を傷つける人権侵害である。
職場の人間関係を悪化させ、教育活動を妨げる。
「セクハラ」を起こした学校というダメージを与える。

「天網恢恢疎にして漏らさず」  教育委員会はその教師を転勤させ、問題を収束させようとした。今なら懲戒免職になる行為だ。

職場は、その後遺症を引きずっていた。翌年、私はその学校に転勤してきた。苦情処理を出したが、内示は返らなかった。人間関係が難しい職場と聞いていたからだ。

その体育教師は、校内に派閥を作っていた。その派閥は、女性教師を敵対視していた。誰がセクハラを垂れこんだのかと探索していた。職員室には嫌な雰囲気が漂っていた。
私の所属した学年は、道徳の時間に「セクハラ」についての授業を率先してすることで一致していた。男性教師からは、「子どもが授業する男性教師をどう見るかな」と不安視する声もあった。

加害者は転勤した先でも問題を起こした。そして、その次に転勤した先では、PTAから不安の声が上がる。生徒が被害者にならないかと管理職に相談をしたと聞いている。プール指導で被害を受けないかと保護者は心配した。ついに加害者は退職することになる。彼は人生そのものを自ら破壊した。

今では、セクハラを受けた時は、相手に対して「セクハラ」だと伝える。あるいは管理職や相談機関に相談する。外部の相談機関は、大阪であれば大阪労働局雇用均等室などがある。

セクハラとは、「職場」において行われる、「労働者」の意に反する「性的な言動」に起因するハラスメントだといわれている。1970年代初期に、「Ms」(アメリカの女性雑誌)の編集主幹のグロリア・スタイネムらが作った言葉。1986年、アメリカ合衆国最高裁判所が「セクハラ行為は人権法に違反する性差別である」と判決で認めた。

セクハラとは、
職場において、他の人(職員以外も含む)を不快にさせる性的な言動であり、職場外において、職員が他の職員を不快にさせる性的な言動をいうことになる。受け手や周囲の人が不快と感じれば、すべて「不快な言動」になる。

ある中学校の校長が、ある女性教師に「ゴルフに行かないか」と誘った。しつこく誘ったかはわからない。誘われたことをその女性教師は周囲に相談した。校長からゴルフに誘われたかと女性教師が調査した。誰もいない、一人を除いて。ゴルフに行ったかどうかは不明。

セクハラとパワハラの境界にある行為だと思う。この管理職は、相手を仕事上の対等なパートナーと見ていない、性的な言動の受け止め方についての個人差を認識していない、学校長の優越な地位を不当に利用していると言わざるをえない。

その校長は、組織管理、雇用管理、男女共同参画への理解が足らないリーダーといえる。その責任は、その人物を校長にした教育委員会にもある。

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