2011年7月11日月曜日

映画「田中さんはラジオ体操をしない」は拾い物だった

熱中症になりそうな大阪を脱出した。

避暑地ならぬ東京に向かった。関東も梅雨明けをした。かんかん照りの街を歩き回った。

1日目は恵比寿の東京都写真美術館に足を運んだ。写真展「1968プラハ侵攻」のカタログが売り切れるほどの人気。あの時、ラジオのニュースを聴いていた。涙を流しながら、旧ソ連の侵略に怒った。ソ連は希望の星のように憧れの対象だった。ソ連帝国主義の実態を知り、睡眠を妨害された。膨大な写真群を見て、「人間らしい社会主義」のために市民がそれぞれの闘い方をしていたのだ。旧ソ連は報道規制をかけて、ワルシャワ条約機構軍の侵略を正当化しようとした。写真群は今も鮮烈に日本人に訴えかけている。アメリカ合衆国の属国に甘んじているこの国の民に、沖縄県普天間基地問題・日米地位協定の改定問題・原発事故にみる日米問題の解決をどうするのかと問いかけている。

次の日はどうしようかと迷う。新宿南口のK’シネマに入る。期待もしていなかったが、イイ映画に巡り会えた。
「田中さんはラジオ体操をしない」はオーストラリアの女性監督のドキュメンタリー映画。田中哲朗さん。遠隔地への転勤命令を拒否した田中さんを会社は懲戒解雇した。20代だった私も彼の名前は覚えていた。そうか、彼は30年以上楽しく闘っているのか。会社が買収された労働組合に変身させられるのを、孤軍奮闘する(たくさんの支援者がいる)ドン・キホーテのようだ。思想差別やいじめに音楽で対抗し、頑固に楽しく本社工場の門前で訴える闘い方もあるのだなと勇気づけられる。

東京都の女性教員もそのサポーターの一人。「君が代」に起立斉唱しなかったので停職3ヶ月の処分を受ける。彼女も一人で処分反対闘争を校門前で始める。処分という脅しで教育介入しようとする大阪の小皇帝がいる。だんまりを決め込むのがいいか。声を大きく出すのがいいか。決断が迫られている。

最終日は暑さにダウン寸前。でも、神保町の岩波ホールに行く。年齢層は高い。大ファンの羽田澄子監督の映画。「遥かなるふるさと 旅順・大連」(1時間53分)。懐かしさで終わっていない。ちゃんと歴史の中に位置付けている。前半はツアーの一員の目で描いている。後半は羽田さんの育った家ー今は中国人の住人のものーを訪問する。懐かしい。日本人の一方的な視点であった。中国人の生活を知らずに、見ずに育ったことを振り返る。「楽しく、安定した」旅順・大連の思い出に留めてはいけないのだ。変わるものと変っていないもの。羽田さんの近隣も変った。一番古い家は羽田さんの家だけになった。

夏休みが近づいてきた。自主研修を存分に現職の先生にはしてほしい。現場での個別的な闘いが重要になってくる。管理職に説明をして、研修を認めてもらおう。また、管理職の教育観も語ってもらおう。上部団体に倚りかからずに、まず現場で、知恵を絞って工夫ある闘いを期待したい。

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